REPAIR〜アナタの人生、修理しませんか?〜

ふぉ〜ゆ〜主演舞台『REPAIR』を12/9に観劇しました。

観劇後のpostいちばんはじめはこれです

彼らを生で見るのははじめてのことでした。
日頃ふぉ〜ゆ〜に触れるのはSHOCK、PLAY ZONE、KinKi Kids堂本光一ソロコンサート などのDVD(姉が見てるやつを共に見てる)、ぴたラジ(姉が聴いてるやつを共に聴いてる)、ダンススクエアなどの雑誌(姉が見せてくれたり口頭で教えてくれたりする)、くらいなのでツイッターで自主的に情報を得ることもなく、観劇前は受動的に得られるくらいの情報しか知りませんでした。知っているのは彼らのお名前と彼らがどんな感じの方々なのか、というそれくらいのレベル 目の前にあったら食べるけど自分からは食べないというやつ

ふぉ〜ゆ〜はジャニーズJr.のユニットである という認識でやはり人目当てではあるものの、観に行く舞台なのにG2かよ というお得感と劇場はシアタークリエという小さい箱だったので久しぶりに「演劇」を観に行く感覚だった
(演劇というものをむずかしく考えてしまい作品を観に行くことが優で人目当ては劣であるという考えのひとがたまにいるけど人目当てというのはぜんぜん恥ずかしいことではなくむしろなんでもそうであるということ 無名でも良い作品が、クズでも売れてしまう作品に埋もれてしまうことが悲しいというだけであって この意味できちんとした純粋な客はそうそういないし実際にそうなのでこれ
都市の舞台俳優たち:アーバニズムの下位文化理論の検証に向かって (リベラ・シリーズ11)
をどうぞ読んでください
リペアが「ジャニーズの」舞台であるという点では自分自身が演者のファンである限りその人たちがどういう人なのかを知ってしまっているので、演劇的な効果、脚本、仕掛けのあれこれがどうだ、ということよりも、本人たちに焦点を当てて観てしまうわけで、それはひとつのまなざしであると思う
なのでこれは物語的な考察などというよりもリペアを経験しているふぉ〜ゆ〜についてのブログになります
ツイッターにもまあまあ連投(2015.12.09付)したんですがまとまって読めるのがいいなというのと、ネタバレ的なものはブログのほうがいいなというのでこちらに書こうと思った 以下感想のようなもの もうけっこう忘れたので設定とか違っても許してほしい


舞台上にはセット、作品のなかには音楽があるけど変にドラマチックではない
G2だしある程度の信頼をおいて斜に構えずけっこうまっすぐ見た 穿ってみる物語でもなく 極端ではないまあ普通にお芝居だった

ふぉ〜ゆ〜を見てまず思ったのは4人それぞれがもともと持っている性質とは反するベクトルを持ったキャラクターを与えられていたなという感じ そんなに性格とかけ離れた役というわけではないんだけど単純に考えたらこうはならないな、という役柄で「逆に」これがぴったりだった 彼らが表面的に見せているものからもうひとつ奥へ進んだところにある性質、みたいな部分を役に見たような気がする。それぞれの担当はグッときたんじゃないだろうか… だから表出するところは正反対でも根底がズレていないのでそれぞれの発することばが説得力を持っていたように思う しっくりこなくて入り込めないなということは全くなかったのでそこでまず彼らの巧さを知る。そうだふぉ〜ゆ〜とは達者な人たちだったというの忘れてた…

物語は無音から始まる。越岡さんの寝言そのひとことが観客の空気をつくると言っても過言ではないので、すごいの一言に尽きる。わたしの回では「マシュマロ、ふわっふわ…」であった。笑うしかない。
 越岡さんの役名はナオキ いつも肩をすくめてなんかビビっている 頑な そのくせ奔放で人懐こい 少し抜けている 正直者でいい子だけど空回りしちゃう的な性格
ナオキは越岡さんの残念みをのこしつつ、彼の辛辣さやロートーンさを消したような性格 ぴたラジなどで時折感じる(あっこの人関西のひとだったっけな)というあの達者さがあった 
最初のpostにも書いてたけど越岡さんはいちばん自然で違和感なし あと発声のよさ
ちょっとシリアスなシーンに彼がギャラリーで転けるところがあるんですがもうマンガかよという感じでズサーといっていてめちゃくちゃ笑った ものすごく空気を変えるのがうまくて好き〜…となった
とはいえ単純な役ではなくナオキは父の形見としての車の価値を信じている愛せるが故にかわいそうな役 彼は自分よりも車のほうが価値があるということを信じて健気に生きてきたんだよ つらい

辰巳くんの役名はダイスケ(めっちゃぽい名前)映画に影響受けすぎてちょっとイタく、純粋でまっすぐでアツい ええかっこしいだけどヘタレなとこもあるという性格
ダイスケは辰巳くん特有の熱量や突っ走ってしまう感じはそのままに、いちばん3枚目だった印象 いちばん笑いどころに置かれてたけどそれは例えば指をさして笑われるというようなものではなく、なんというか「愛らしいな」という笑い 彼にキャラクターを与えるとこんなにも光り方を変えるのか、というのは身に覚えがあり、タッキーのソロ(気まぐれJET)でポンポン降ってたときのアレ…なんだっけあのコンサート…
それといちばん爆発力があったように思う 客席がいちばん湧いてたのは彼パートだったな というのも、彼は緩急の付け方がめちゃくちゃうまい シリアスな場面から一気に笑いに持っていったとき客席で抑え込まれてた感情が一気に放出されたなというのを感じた 身じろぎひとつせずぐっとこらえて静かに涙を流してたお客さんがどっと笑って涙を拭うところを見た 空気の底にある栓が抜けたなと思った

ザキさんの役名はマコト いちばんまともな役だった(けどツッコミ側ではない)そして他の3人とはすこし違う性質の役どころでキーマンっぽい ファンがいちばん意外に思ってそうな感じだった
ザキさんはいつものようなお笑い役ではなく彼の繊細さとか善人感といったものがを引き出されてたように思う かといって、彼が元々持っているあの 笑わせようとせずまともにやるほどおもしろい という感じは残ってて翻弄されまくった 的確なおもしろさ だから尚更胸にくるような、いちばん切実なきもちをもらった気がする
マコトがミクを思う気持ちや態度に滲み出るあの優しさがめちゃくちゃ痛かった 家族にある種囚われ、憎み、でもそういうのがほんとうの愛だろう じぶんの人生を家族に捧げてる 盲信したものが一瞬で崩れて彼は生きる目的を失くしたけど 誰も悪くないとしたら彼は自分を責めるだろう そういう誠実さがつらかった 松崎さんがああいう役をやることでこの痛切さが浮き彫りになった気がする あと赤い血に染まった唇がマジで美しかったな…

福ちゃんの役名はトオル。トオルはプライド高いというか、福ちゃんのケロっとしてて何にも臆しない動じない感じ、それと彼が持っている堂々とした存在感がそのまま生かされてて、それ故に役柄の人間性のつめたさ、狡賢さが際立った 
トオルが現実だと信じていたものが虚像だったということを、それが真実だと知ったとき、その瞬間の揺らぎがめちゃくちゃ刺さった 福ちゃんてほんとうに独特のおもしろみがあって、それにまだ笑いそうになっちゃったりするんだけど、福ちゃんのコミカルさや滑稽さはもう一段階いけばきっと悲しさになる 悲哀とか虚しさとかやりきれなさに姿を変える そのときわたしたちはたぶん、喜劇が悲劇と表裏一体になるところを目撃する
福ちゃんはほんとうにいい演者だった 4人のなかでいちばん客を突き放したり連れてったりしてくれる演者だったと思う 客が引っかかってしまってるとこをうまく処理してた やっぱ舞台に立ってきた数が違うので、自分のことでいっぱいいっぱいになることはなく客席の空気をきちんと感じつつも気持ちを弛ませないでお芝居を進めてたのすごいなと思った


この舞台『REPAIR 〜アナタの人生、修理しませんか?〜』では「4U in HUMAN COMEDY」と謳ってある。
ふぉ〜ゆ〜の「(一般的な意味での)コメディ」でいうと、笑いというのはなかなか難しいもんだと思うのだけどみんなまっとうに(しかも役柄のままで)笑いをバンバンとっててすごかった ジャニーズだと「担当がなんかやってる可愛さ」というものだけで 温かな笑い が生まれてしまうのをよく見かけるのだけど、ふぉ〜ゆ〜は決してそんなことはなく、やっぱ達者だなと思った 
役どころの機能や置かれている立場によって笑いを取れる機会というのは均等ではないんだけど、果敢に、というかサラッと、ひとりで笑わせにいってたのは福ちゃん(かっこいい)ザキさんは関係性などで相対的に引き出す可笑しみ(まともさが面白いのは最高)越岡さんと辰巳くんは的確に笑われにいってた(こちらも超愛おしい)いずれにせよみんな役っぽければぽいほどおもしろくてひたすらうまくてやめてくれ〜〜〜ハマるだろ〜〜〜



コメディというのは「喜劇」である。喜劇とはたんに「人が思わず笑い興じてしまう滑稽な出来事」ではなく「諧謔・機知・風刺などに富む演劇」のことでもある

リペアのイントロダクションはこう↓
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古ぼけた油まみれの自動車修理工場。
運命の糸に引かれるように青年4人が集まってくる。
彼らは皆、目標を見失い、人生の途上で
パンク、ガス欠、オーバーヒートしていた。

やり場のない焦りや不満、憤りをぶつけ合う4人。
どこか憐れで、滑稽で、笑うしかない。

珍妙にも見えるガチンコ対決を通して、
4人は自分たちの人生にも修理が必要だと気づく。

そして…
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『笑うしかない。』笑うしかないのである。
演劇ではよく感覚が反転する。笑いというのは単純な愉しさだけではなく、悲哀や狂気や寂寥に姿を変えることがある。道化師は涙を流す。


ナオキが祈るように信じつづけてきた青い車のほんとうの価値、それが暴かれたと思われたとき、ナオキは愕然とする それだけを盲信してあたりまえだと思ってなかば真実から目を背けながら生きてきた
希望を失って、崩れ落ちるナオキの胸ぐらを掴んでダイスケが言ったことば
誰だってそれをやっていればもうなんでもいい、そういうふうな熱狂を持っている。

「お前そういうのねえのかよ」

わたしたちは生きるための意味を何ひとつ与えられていない。それでも生き続けなければならないから、なにかのために死なずに生活をつづける。愛するひとのため 成し遂げたい夢のため あるいは復讐のために たとえば夏にTBSでサスケという番組をやっているけどあのひとたちは毎年くるその日が目的になる それは決してバカにはできない 皆が持っているなにか目的と同じこと 例えば愛するひとを殺された人間はその復讐のために その大小にかかわらず、ひとつのきっかけでひとの人生は変わる。変わってしまう。

4人の夢や信仰は壊れた。真実を知ってしまったからだ。真実はいつでも隠されている。無知は幸福の要因である

ナオキはずっとみじめだった。じぶんよりこの車のほうが確実に価値を持つということが唯一の救いだった。
マコトは自分の思い違いのせいで生きる目的をいとも簡単に失った。
ダイスケは夢の眩しさにいつまでも追いつけない。
トオルがばら撒いた名刺は、そのプライドの残骸である。

4人はみんなで夢を失い、みんなで人生をリペアし始めたわけですがふぉ〜ゆ〜としても演じてみて様々おもしろかったんじゃないでしょうか 正反対なようでどことなく似ている役たち 互いに違った一面を見つつもそれが一層彼らの魅力を引き立てることになっていた感じがします 知らんけど



ハイ、というわけでね!
千秋楽も終わりましてリペアお疲れ様でした

9日に観たとき思ったのは、これから公演回数を重ねていくときっとどんどん舞台に流れるダイナミクスのかたちが鮮明になって、演者たちはどんどんその輪郭を掴んでいって、それからたぶん、コペルニクス的転回が劇場全体で起きる、すべての観客が「演劇」をみることになるんだろうなということ。でもほんとにそうなってたんだろうなと思います、なんせふぉ〜ゆ〜なのでね

ふぉ〜ゆ〜はわたしのなかで次も現場あれば行きたいなと思えるグループとなりました 身体に気を付けてこの調子でがんばって早いこと偉い人に見つかってくんろ

おわり